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how does it feel?

PMのデザインが変わったようだ。
依然としてだささになんの進歩もない。
カーブには神経を逆なでするために、
舌みたいな刻みが依然としてついている。
キャスターとツートップの座を死守。
といいつつもしっかり購買層として貢献する私は
3月より晴れて外資たばこ推奨。
禁煙禁煙みんな言ってるけど、本気で誰かやって見せてよw
あくまで、25まで傍観。
若しくは、外的圧力に屈しているかも。


最近の発見。悪気はない。
1.私は私自身の本の解釈に対して思った以上に自信を持っていた。

少なくとも納得できない事柄があれば考え抜くしかないから。
見知らぬ人の勝手な解説をただ聞くのは嫌。
(しかもだいたいにおいて軽薄だと思う、超身勝手さ。
我ながら頭が痛い。一応。)

それでも、やはり解釈のもと平面が立体にならないのなら
それほど意味はないし、
ラインを読むだけなら人を巻き込んでやることもない。

ましてやそれを短時間で書き上げ、「採点」されることなどありえぬ。
それならひとりでこそこそとよんで感嘆していたい。
この文学的ひきこもり性から結論を導くと、
「文学を専攻しなくてよかった」
少なくともうちの学部では。
多分、学校やめちゃってたなw


2.文学するひとびとの実態には、ほとんど興味がない。

小説を書くこと、表現することがどんな作業で、
本人にどんな意味を持つのか、考えると止まらない。
だからか、書くだれかと社会で生活する誰かは、
全く別であってほしい。
骨の髄をさらしながら生活するのはどんな気持ちだろう。
小説はファンタジーか?リアリティーか?
よく問題になるけど、私にとってはどれも100%ファンタジー
だからこそリアル。

その中のひとは、書物の中にいてくれればいい。
表現者たる姿勢は心から尊敬しても、人生でリンクしたくはない。
かける人とそうでない人が同じ時を共有するのも、
片方だけが片方の構築した「箱庭」が見えるのも、
フェアじゃない気がするから。

こんなことうだうだ考えるような機会が多かったために
自分の排他的な性質を再認識した。
さて、これからの人生で、この意見を変えるような出来事はあるかな。
多分あるんだろうけど。



加えてゴダール再発掘の日々。素晴らしいなんてものじゃない。
たしかに中学生のときいたく感動し、
フランス語やろうなんて思ったはずだけど、
一体どこがよかったの?というくらいに新鮮。
小栗康平の、ストーリーやプロットは記憶の中でやがて
意味がなくなるという言葉を思い出してしまう。

たとえば感動した記憶がある、「軽蔑」。
この不思議な一線の超越はあの時の私に分かるはず、ないはず。
なら訴えかけたものはどこだろう。同じようにはもう見つけられない。
ねえ、どこが心揺さぶる?と彼女に聞きたい。
それで、そうだね、なんて。相手が自分なら鷹揚に構えていられそうな身勝手。


私、今見てる世界が全部だなんて思うなよ、と思った。


【2007/05/21 01:02】 | Journalとか | トラックバック(0) | コメント(0)
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